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当時、浦賀奉行与力であった中島三郎助は、1853年6月3日三浦半島浦賀沖に突如現れたあまりかの黒船に最初に乗り込みペリー提督らと直接応接し日本外交史に貴重な役割を果たします。

その後、彼は榎本武揚とともに蝦夷共和国実現に夢みて函館へ向かいますが、官軍との激しい戦いの末、長男 恒太郎、二男英次郎の父子3人と最後の陣屋 千代ヶ岡陣屋(中島町)で壮絶な戦士を遂げ数日後五稜郭は開城され、ここに戊辰戦争は終結するのであります。(1869年5月18日)

このように中島三郎助は、近代日本の幕開けに燦然と輝く逸人であり、遠く離れた函館と浦賀の両市民にとっての交流の絆となっています。

中島三郎助父子
市立函館博物館蔵
【中島三郎助父子の最後の地】
中島町の有志の方々により常にきれいに整備されています。
中島廉売市場から徒歩5分。
【千代ヶ岡陣屋跡】
現在のオーシャンスタジアム裏あたりから中島小学校の一部にあったとされています。
中島廉売市場から徒歩3分。
【ペリー銅像】
浦賀で中島三郎助は、ペリー艦隊の旗艦に乗船し国書を渡す。そのペリーも箱館に寄航。
函館 元町基坂。
【外国人墓地】
函館の外国人墓地には、ペリー艦隊の乗員も眠っています。
函館 船見町。
1821年 浦賀奉行所与力中島清司永豊の二男として誕生
1846年 与力見習(1835年より) 観音崎台場詰、鳥崎台場主席、浦賀で大砲製作。
この年まで槍術、砲術を身につける。
特に砲術は、熱心で荻野流、集最流、田村流、高島流の免許皆伝
1849年 正式に与力職になる。
1853年 アメリカ東インド艦隊司令官ペリー軍艦4隻を率いて浦賀に来航。
外国応接掛として旗艦乗船。国書受渡・送迎役(久里浜)
1854年 ペリー再び来航。外国応接掛として黒船に乗船。桂小五郎と交流。
1855年 長崎海軍伝習所へ入る。(第一回生)
1867年 開陽丸軍艦出役。
1868年 榎本武揚率いる旧幕府海軍八隻の艦隊で品川沖を脱出。鷲の木に上陸
箱館に進行。入札(選挙)にて箱館奉行並。
1869年 千代ヶ岡陣屋にて長男 恒太郎、次男 英次郎とともに戦死。
江差沖に復元された開陽丸。
中島三郎助が機関長であった。