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昭和九年三月二十一日の函館大火で焼失家屋、焼死者多数を出す大惨事であったが、この火災でわずか焼失戸数五十六戸に過ぎなかった中島町は、大火後戸数の増加を見て現在約千四百三十九世帯に達している。その昔は刑務所であったが今はこの付近一帯に住宅が並び昔日の面影はない。住民の多くは勤め人である。大火後は大通り中央部から白滝橋迄露天が出店、東部の名物として五稜郭、亀田地区から客を呼び、五、十の夜市も許可され付近の発展に拍車をかけ、消費者の名物市場として親しまれた。昭和九年から昭和十一年と露天出店話が百軒近くになるとれんばい通り両側の一般住宅も商店に改装する所があらわれ、商店街としての実質的誕生を昭和九年と位置づける事が出来る。 |
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